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第11回 栗原庸夫先生

第11回 栗原庸夫先生

栗原庸夫先生 在校歴:昭和53年4月~平成3年3月、平成8年4月~平成12年3月 担当教科:国語

紹介者からのコメント・平成13年卒 國武作好

 自分の入学当時、栗原先生は既に50代後半でしたが、第一印象は「いかつい」という感じでした。中学を卒業したばかりの高校一年生の自分にとって、天敵以外の何物でもありませんでした。先生は生徒指導の先生で応援団の顧問もされており、授業そのものは教えてもらったことはなかったんですが強く印象に残っている先生です。
 応援団の顧問と言っても何かを指導されることはなく、試合会場まで連れていって頂くことがほとんどでした。その行き帰りの車の中では普段とは違い、楽しそうな顔をしていらっしゃったのが思い出されます。自分が二年生の時まで生徒指導と応援団の顧問をされていて、その間は職員室の上にある生徒指導室にいらっしゃることが多く、自分に用事がある時は「応援団の國武~、生徒指導室まで来ぉい!!」と放送されて何度も恥ずかしい思いをしながら生徒指導室まで行ったこともありました。
 しかし、退職一年前は居場所も生徒指導室から図書館の司書室に移られて隠居生活を送られていた気がします。先生が司書室にいらっしゃる時は、よく遊びに行っていて、お菓子やお茶をもらったりしながら部活の話や進路についての話などをしていました。話をしていた中で最も記憶に残っているのは、先生が「誰が生徒指導が好きなもんかぁ~、生徒に嫌われるだけてかぁ!!」と言われた言葉です。先生という仕事の本音を聞けた気がしました。退職されてから二回ほど一緒にお酒を呑む機会がありましたが両方とも楽しく呑ませてもらいました。また近いうち一緒に呑みたいです!!

栗原庸夫先生からのコメント

母黌教師時代と今
 昭和53年の春着任し、母黌済々で教鞭を執ることになった。それから13年の間勤めた後、他校に5年間転勤後、母黌に再転任してきた。満60歳の定年までの4年間である。母黌の教師として計17年間勤めたことになり、昭和33年に卒業したので、60歳の3分の1が母黌で飯をくったことになる計算である。母黌教師時代は、専門教科以外の校務分掌として生徒の生活指導が中心であった。その意味では俗にいう成績の良い生徒、成績は良だが性行不良の生徒、どちらもあまり芳しくない生徒などに接してきた。思い出多き母黌教師生活であった。
 私が八代南高校教師時代に、母黌卒業生の誰からかは今もって不明だが、私が推薦されているからと「毎日新聞社」から母黌の名物教師の一人として取材させてくれとの電話があった。そのとき、私は母黌の名物教員の一人であったのかと思った次第である。それは平成三年であった。私の記事は僅かではあったが、その新聞が直接私宅に届けられたので今でも保管している。
 さて目下の私は、鎮西学園真和高校に教諭として勤務している。今年度(平成16年度)5年目になるのでこの学校も退職の時期を迎えつつある。教員退職後は、鹿本の叔母に畑を借りているので、そこで野菜作りに勤しんだり、母黌の同級生数人で写真愛好会を結成したので、野山に撮影で廻ったり、時間があれば遅まきながら、ゴルフでもと考えているのが昨今の私の心境である。

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