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第5回 西村正顕先生

西村正顕先生 在校歴:昭和55年4月~平成6年3月 平成9年4月~平成11年3月(教頭) 担当教科:社会

紹介者からのコメント・昭和63年卒 立山宏治

 高校生活3年間、西村先生と顔を合わせている時間は非常に多かったです。理由は、先生がソフトボール同好会の監督だったから。私は、3年間、部活漬け?の日々を過ごしました。
 ソフトボール同好会のグランドは、立田山の頂上にあり、学校から毎日1時間ぐらいかけ自転車で通っていました。入部当時は、グランドも整備され練習をすることに不自由は感じませんでした。しかし、山のグランドであり雑草を退治することが毎日大変でした。つまり、手をかけないと元の山に戻ってしまうのです。
 先生は、このグランドの整備に関しては、プロ並みだったと思います。この手作りのグランドは、平成4年の同好会解散までの11年間、先生の整備なしには維持できなかったと思います。
 私は微力ながら3年生の時、主将をしていました。一度だけ、先生に根性を入れられたことがあります。確か、部活を休む、休まないの問題だったと思いますが、グランドの斜面を転がるように気合を入れられました。
 チームの指導は、部員の自主性を重視され、何事も自分たちで考え、プレイ一つ、一つに頭を使うように言われていました。練習は厳しい時期もありましたが、今、思い返すと良い思い出になっています。玉際(たまぎは)を大事にしろとよく言われました。あと一歩で補給できるボールの、あと一歩を踏み込めるのとそうでないのでは結果が全然違うという意味で私はとっていましたが、社会人になった今でもこの言葉を思い出し、実行しなければと思うときがあります。
 最後になりますが、高校3年間の思い出どうもありがとうございました。

西村正顕先生からのコメント

在職当時の西村先生

 私が濟々黌生徒の時代、担任だった岡部先生から「げんこつ」の有効的な使用方法を身をもって習得させていただきました。教師になってからはこの「岡部流」をさらに自分なりに改良し、濟々黌で後輩を指導するなかでその威力をそれなりに発揮させることができました。ただ、遅刻して来たT君の石頭には当たり負けをして小指を痛め、逆に彼からしきりと同情されたこともありましたが・・・師を越えることは簡単ではありません。
 また、ソフトボール歴が長く、物を投げるコントロールには自信がありました。授業のときに投げられる物はチョークぐらいしかありませんが、大体「当たり」ました。今なら問題教師なのかもしれませんが、時代が良かったのか濟々黌の生徒達の心が広かったのか、無事定年退職することができました。
ここ数年教鞭を執ることがなかったのですが、先日大学から90分の講義を依頼され、話し始めたら時間を忘れてしまいました。やはり根っからの教師だと自覚しました。先日61歳になりましたが、お陰様で元気にしています。今年は老人ソフトボールを始めようかと思っています。

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