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第1回 金津安貞先生

金津安貞先生 在校歴:昭和19年~昭和51年 担当教科:国語

紹介者からのコメント・昭和49卒 島田等

 良き時代だったのか、まだ大らかな私達の高校時代は、先生方も全員が名物教師と言える程個性的だった。ずんぐりとした体型にメガネとちょび髭の金津先生は、漱石の「ぼっちゃん」の世界の教師を連想させた。ある論文大会の入賞を冬休みの自宅に電話で知らせてくださった先生は、「こんにちは」と言った私に「まず新年の挨拶ばせにゃんたい」と言われた。生徒に対しても我が子を見守るような暖かさを感じさせる先生だった。

金津安貞先生からのコメント

在職当時の金津先生

 昭和22年6月、第10代校長杉原春作先生をお迎えした。大正4年卒業のはじめての同窓校長であった。やや小柄で人なつっこい感じの先生であった。運動場で全校生徒を前に「ああた方と一緒に心の田を耕そうと思っております。」と述べられたこの就任の言葉が今もはっきりと耳に残って、私を育てている。
先生ご就任間もない頃、米軍政官ピーターセンの学校視察があった。三綱領の「大義」についての質問に、通訳との咄嗟の機智で「グレートソーシャルサービス」と説明され、場合によっては廃校にさえなりかねない学校の危機が救われた。杉原校長先生こそ、まさに戦後の濟々黌経営の大恩人ではなかろうか。
 昭和25年3月、1年生から6年間持ち上がりの担任を続けた諸君が卒業していった。私のクラスの諸君から「親に捧げる叙情詩」」と題したノートを記念にもらった。全員が思いをこめて卒業離別の感想が綴られていて、私の宝である。今も折にふれて諸君の純情を味わっている。
 平成13年5月、この25年卒有志から拙老夫妻の長寿を祝う会が盛大に催された。会する者、東京から10名、関西1名、北九州など3名、地元23名、どの顔もみな懐かしい37名もの大会合になって、思いもかけぬ身に余る記念の祝賀会に夫婦ともども心から教師冥利につきる感激を覚えた次第であった。前後して28年卒、私の担任グラスの有志一同からも心をこめたさまざまな米寿のお祝いを頂いてまことにありがたく感謝のほかはない。
 私は大戦末期の19年4月、招かれて母黌就任、51年3月、32年間の勤務を無事終えて退職した。なおついでに申せば、父が明治28年から国漢の教師として31年間濟々黌に奉職。父子2代計63年間濟々黌に勤務ご奉公させて頂いた喜びと感謝はまことに大である。
 近年腰を痛めて歩行困難なことがあり、悠々自適の晴耕雨読とはいかないけれども、幸いにして目も見え字も書ける。まれには頼まれて物を書いたり、佐藤秀郎君(28年卒)から5年越し毎月届いている「地方財務」誌所載「印綬記伝録」を楽しみ、池田運君(20年卒)から贈られた千頁を越えるご本人の印度ヒンディ語の大翻訳叙事詩「ラーマヤン」を少しずつ読みついだり、平仄を案じて作詩にふけり俳句や短歌を考えたりして過ごしている毎日である。

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